八本脚の蝶 を読んで
ブログをはじめた理由は先に書いたけれど、それだけではなくて、
河出文庫から最近出た二階堂奥歯著『八本脚の蝶』を読んだことがとても大きい。
先週、前職の先輩からとつぜんLINEがきた。
「いま、二階堂奥歯の『八本脚の蝶』を読んでいるんだけど、あなたをとても思い出す」と書いてあって、
そのとき二階堂奥歯という名前も知らなかった私はすぐに書籍概要をチェックして、
翌日のアルバイトのあと、東急百貨店本店の丸善ジュンク堂でその本を手に入れた。
17年前、25歳で飛び降り自殺によりこの世を去った女の子、二階堂奥歯。職業は編集者。
自分の生きた日数より多くの本を読み、思考し、お洋服や化粧品や香水が大好きな筋金入りの乙女。
本は二部構成で、一部は彼女の日記(ネットで公開していた日記のようで、今もまだ公開されつづけている)。二部は彼女が担当した作家や、恋人や恩師が彼女について短いエッセイを書いている。
彼女が呑み込んだ膨大な書物によって彼女自身も深淵なる書物そのものになってしまっていて、
彼女にとって25年は決して短くなかったんだろうなと思う。
本の引用がとても多く、どんな本の虫も、ここまで本の一節を膨大に記憶することはできないんじゃないだろうか。
言語感覚が圧倒的に優れていて、インプットだけでなくアウトプットする力も並外れているから、
編集者としても優秀だったようだけれど、やっぱり作家向きだったんじゃないかな。
当時もネット上でカリスマ的人気を誇っていたようだけれど(ニッチなところでだとは思うが)
私も彼女に夢中になってしまった。
先輩が私を思い出す、と言ったのは、奥歯さんの嗜好がまさに私と同じ方向性だということで、
澁澤龍彦、矢川澄子、球体人形、児童文学、シュルレアリスムとエロティシズム、宗教学、偏りすぎの乙女的偏愛など、そういうことであろうと思いますが
奥歯さんの知識量と思考量の前では私など恐れ多いばかりです。
奥歯さんが日記をつけてくれていて本当によかった。
奥歯さんの思考の跡を、私もこれから辿りたいと思う。
奥歯さんを考えるうえで、どうしても気になる、もしくは邪魔をする、自死を選んだというところだが、
私は自死を選ぶ人(芸術家や作家に限る)は、生きていけないから死ぬというよりも、自殺という行為によって自分の人生を終わらせたい(と他人に認識されたい)という、
かなり俯瞰した美学を貫いた人だと思っている。
矢川澄子とかも、そうだと思っているし。
そして奥歯さんもそうなのかなと思っていたけれど、
最後のほうの日記を読んでいると、本当につらそうで(もはや書物の引用だらけになるのだが、自分の呑み込んできた書物たちのなかから、どうにか生の意味を手繰り寄せてはその細い糸が切れ、またなんとか手繰り寄せては切れ、その繰り返しで、最後プツンと絶えてしまった感)
自死を選んだ、というか、選ばざるを得なかったという感じがした。
仕事が理由なのだろうか。そういう記述もある。そうだとしたら本当に悲しい。
それとも、あれだけ思考した人の行き着く先はもう死しかないのだろうか。
読み終わってから奥歯さんのことをずっと調べているのだけれど、
当時リアルタイムで彼女の日記を見ていた人が、彼女が自死したことを彼女の手で書いた日記が上がって、ついにとうとう、と、悲しみが湧き上がると同時に、言いようのない高揚感が生まれた、というようなことを書いていて、
正直だし残酷だけれど、まさにそれは言い得ていて、
彼女という物語は最高のエンディングを迎えたわけだ。
すでにそこでエンタテインメントになってしまっているし、賢い彼女はそれをわかっていて最後の日記を書いたんだろう。
奥歯さんがもし生きていたら、私も出会う機会があったかもしれない。
10歳違いの奥歯さん。「読み手」の先輩として、編集者の先輩として
お友達になれたかもしれない。
と、勝手な想像もしてみる。
強烈な本だった。
紙の上でだけど、奥歯さんと出会えてよかった。
私に連絡をくれた先輩と、次に会ったら、奥歯会をしようねと言い合った。楽しみ。
後日、銀座の十誡というライブラリースタイルのバーに行ったら、
奥歯さんが何度も好きと書いていた泉鏡花の『外科室』があり、読むことができた。
十誡はたいへん好みであった。一生いられる空間。
パンジーが咲いてるレーズンバターが忘れられないので、また行きたいな。